息子のブログにこんな一文がありました。「クリスマスの思い出」

「クリスマスが近づくと、みんながよい子にしているかサンタさんが見回りに来るんだよ。
だから、ちゃんとプレゼントをもらえるように良い子にしていようね。」
 子供の頃、そんなふうに言われませんでしたか? 
うちではそう言われていて、オレはサンタクロースを信じていたものだから、11月下旬あたりからは、少なくともいつもよりはよい子にしていて、サンタさんからのプレゼントを心待ちにしていたものだ。
それは「親にだまされていた」なんていうことではなく、とても良い思い出である。


かなり大きくなるまでサンタさんがいると思っていたようです。
娘は早くからお友達同士で「お父さんがサンタさんなんだって・・・。」と話し合っていたようでした。
女の子の方が現実的なのでしょうか?



子供たちが寝静まってから用意していたプレゼントをテーブルに置く時、夫婦で幸せを感じたものでした。
大きくなるにしたがってどんなふうにプレゼントを渡すか・・・
夫と子供たちが一緒にお風呂に入っている時ドアのバターンという音がして「ほらサンタさんだ。」と言った年がありました。
しばらくするとお風呂に入っていない母親がドアの音をさせたのではないか?と言うようになり、サー困りました。
そこで考えたのがお隣に越してきた若いご夫婦。
12月に入ってサンタさん役をやっていただけないかお願いしてみました。
「喜んで」の返事に ほっ。
その年のクリスマス・・・夕食時 ベルの音。
家族4人がリビングにいるのにです。
子供たちの驚いた顔・・今思い出しても楽しい光景です。
「みてらっしゃい。」と言うと「サンタさんと ごっちん(鉢合わせ)する と嫌だもの。」と興奮して体を震わせていました。その可愛かったこと。
しばらくしてドアを開けるとプレゼントが置いてありました。
子供たちは大喜び。
サー翌年。
子供たちははサンタさんに質問状。
「雪がなく、そりが使えないのにどうやってプレゼントを配達するのですか?ご飯は食べましたか?
忙しくて食べられないでしょう。私のクッキー食べてください。」と残しておいたおやつのクッキーを袋に入れ手紙と一緒にドアに取り付けました。
「もしかして子供たちが飛び出していくかもしれません。」とお隣の若夫婦に話すと「大丈夫、赤い服を着て見つからないようにさっと隠れます。」
お隣のサンタさんは何年続いたでしょうか東京に移られ京都の大学へ行かれその後ドイツの大学へ留学なさいました。

孫も2歳半。
どんなクリスマスを迎えているのでしょう。


長くなりますが、息子がクリスマスの事について昨夜、載せてました。
お時間のある方は。「クリスマスの思い出 其の弐」

 クリスマスの思い出と言えば、毎年それなりに楽しい時間を過ごしているけど、やはり子供の頃を思い出す。
 
我が家でのクリスマス。
記憶にある最初の頃のクリスマスは、25日の朝に起きてみると、テーブルの上にプレゼントが置いてあるというものだった。
それでも充分にサンタクロースの存在を信じていて、疑いもしなかった。
それが、いつだったかは父と兄妹で一緒にお風呂に入っているときに玄関がバタンとしまる音がして、急いで出て行ってみると玄関にプレゼントが置いてあるという演出になった。
冷静に考えたら母がそうしたに間違いないのだけど、その時母は「料理を作っている最中でちっとも気づかなかった」なんて言っていて、幼き日のオレはそれをちっとも疑わなかった。

そのうち、家族4人で夕食を食べていると、玄関のベルが鳴り、出て行ってみると玄関先にプレゼントが置いてあるというようになった。
これはもうサンタクロースが来たのだと信じざるを得なかった。
そんなことが何年続いたのか覚えていないが、妹と二人して玄関先で狂喜乱舞、「来年こそは待ちかまえていてサンタさんに会うぞ」なんて言っていた。
しかし、いざクリスマス近くになると本当にサンタクロースに出会ってしまうことがなんだか怖くて、結局待ち伏せはせずにサンタさん宛のクリスマスカードやこちらからのささやかな(本当にささやかな)プレゼントを玄関先にセットしておく、そんな年が続いた。
 
 しかしいつまでもそんな時代は続かず、ある年両親にサンタクロースはいないということを知らされた。当時アパートに住んでいたのだが、実は毎年クリスマスの夜にプレゼントを届けてくれていたのは隣の部屋に住むご夫婦だったというのだ(勿論、プレゼントはうちの両親が購入して渡していたのだが)。
そのご夫婦が引っ越してしまったのと、いつまでもオレにサンタクロースの存在を信じさせておくというのもなんだとあったのだろう、サンタはいないこと、それと妹にはまだ言わないで欲しいということを告げられた。

となりのご夫婦というのは、思い返すに今のオレと同じくらいか若いくらいの方達だったと思うが、子供のいないご夫婦だった。
両親から聞くに、毎年クリスマスの夜、もしかしてオレら兄妹に後ろ姿でも見かけられるといけないと思って、わざわざ赤い服を着て我が家の玄関に接近し、プレゼントをセットしてチャイムをならして逃げて、その後オレらが玄関先で喜ぶ声を聞いて喜んでいてくれたそうだ。そのご夫婦も、それなりにクリスマスを楽しんでいてくれたのではないかと思う。

で、サンタクロースがいないことを知らされたオレはと言うと、「信じていたのに裏切られた」なんて思いは全然なく、少し大人になったと認められたような気がして誇らしかった。

今、クリスマスのことを考えると、当時そのような演出を考えてくれていた両親と隣のご夫婦に感謝の気持ちでいっぱいだ。今、あのご夫婦はどうしていらっしゃるのだろうか。

サンタクロースの正体というのは、そういうふうに子供を思う、大人達の“気持ち、心”なんじゃないかと思う。だから、『サンタクロースはいない』なんてことはないのだと思う。
別に「いない」という人に、「いや、いるよ」なんて反論する気にはならないけど、やっぱりサンタクロースはいろんなところにいるのだとオレは思う。

今夜もいろんなご家庭で、それぞれのサンタクロースが大活躍のことと思う。今年、我が家でも息子が2歳7か月になり、初めてそれなりにサンタクロースやプレゼントのことを意識させたクリスマスを迎えた。
オレも、別に赤い服を着たり、「ホゥホゥホゥ」なんて言ったりしなかったけど、でもこの歳になってようやく一人のサンタクロースになれたような気がして、なんだか嬉しい。
今までとちょっと違うクリスマス。最高だった。


息子の文章を見てなんだか嬉しく、寒い朝なのに心温かになりました。