まさかの身欠きニシン

落ち葉の季節も終わりもうすぐ雪が降ってきそうです。

地元紙朝刊に「まさかの身欠きニシン」と題して、こんなコラムが載っていました。
耳で聞いて勝手に想像していた文字と、実際に文字で見たときの間違いにがくぜんとすることがある。
幼い頃、童謡ふるさとの出だしは、「うさぎ美味し」と信じて疑わなかった。小学校高学年になり、たまたまテレビで流れた歌詞の字幕に「うさぎ追いし」と表示されているのを見て衝撃を受けたことがある。
 つい最近も小料理屋のお品書きに「身欠きニシン」を見つけ、それまでみがきと聞けば「磨き」だとしか思っていなかった自分を恥じた。
光ってはいるが磨いたわけではないのだ。
しかも身欠きと聞いて「身を欠いているなら骨だけか」と思うとまさかそんなことはない。
ここでいう身は頭と内臓。それを取って干したものが「身欠きニシン」。
私には一つ二つひねりの効いた食べ物だ。
 知人に話したところ、彼は小学校一年生の頃、校歌の歌詞の「我が母校」を「かまぼこを」と信じて一生懸命歌っていたとのこと。
こちらはほほ笑ましいのである。

これを読んで夫と大笑いしました。