ドナルド・キーン氏と日記

毎日配達される新聞を丁寧には読まないのだけれど一昨日は月一回掲載のドナルド・キーン氏の東京下町日記が興味深かった。

後世に日記は語ると題して

筆者が海軍時代南洋の島で日本軍の遺留品として回収した日記にこんな記載があった。
「戦地で迎えた正月。十三粒の豆を七人で分け、ささやかに祝う」
この直後に玉砕したのだろう。
思いをはせると胸が苦しくなる。…と冒頭に書いている。
太平洋戦争時には生きるか死ぬかの兵士にも銃器とともに日記帳が配られていたそうです。

石川啄木のこと・・・
啄木は考え方がよく変わり、一貫性がまるでない。妻を愛しながら不貞行為に走る。
啄木は「妻に読ませたくない」という理由でローマ字で日記を書いたことがある。
だが、妻はローマ字を読めた。
しかも、その日記は上質な紙に誤字脱字なく書かれてあった。
おそらく下書きをして清書したのだろう。
読まれたくはないが知ってほしいという、矛盾した願いが垣間見られる。
最初から人に読ませることが目的の日記と比べて、啄木の日記ははるかに人間味にあふれ、魅力的だ。

また筆者は何度か書こうと思ったが、大人になってから書いたためしがない。
だが、それで後悔することがある。
以前、谷崎潤一郎の自宅に招かれたときに志賀直哉がいて、大作家二人との対談に参加した。
二人の姿は覚えているのだが、話の内容を思い出せないのだ。
当時、私は記憶力が抜群で「忘れるはずがない」と思っていた。ところが、年を取って忘れることを覚えたのだ。
せめて、日記に残していれば、と思うがあとの祭りである。・・・・と書いている。