震災後・・・。

早いもので東日本大震災からすでに9年。

震災後、絆が大切と言われたことがあった。その頃のことをある作家が書いていました。

『被災地の膨大な瓦礫をひきうけることを拒んだ多くの地方自治体があったことだろう。瓦礫は焼却して量を減らし、放射線量も厳しく測定して、数値が安全圏に入った状態で引き受けてもらうというのに、それでもなお、拒んだ土地も人もたくさんあったのだ。それ以前にも、被災地のものは一切持ち込ませないという運動が随分報じられた。被災地のナンバーを付けた車への嫌がらせ、慰霊のために被災地の木材で作った小さな木片さえ持ち込ませない、と騒いだ住民運動もあった。もし絆が大切と言うなら、その心の証はさしあたり、瓦礫を引き受けることだろう。それさえ利己的に嫌なら、自分はやさしいとか人道主義者だとか言わないことだ。自分は、自分の命だけがかわいくて、自分の不利益になることは一切いたしません、と明言すれば、まだしも人間として一貫している。』

私は自分がその立場にいたらどんな対応をするだろうと考えると、時々、恐ろしいと思うことがあります。東日本大震災を思うとき、震災後10日遅れで卒業式を迎えた気仙沼の中学校、あの答辞を涙をこらえながら読んだ男の子を思い出します。

『 本日は、未曾有の大震災の傷も癒えない最中、わたくしたちの為に、卒業式を挙行していただきありがとうございます。

ちょうど、十日前の三月十二日、春を思わせる暖かな日でした。

わたくしたちは、そのキラキラ光る日差しの中を、希望に胸を膨らませ、通いなれたこの学舎を、五十七名揃って巣立つ筈でした。

前日の十一日。

一足早く渡された、思い出のたくさん詰まったアルバムを開き、十数時間後の卒業式に、思いを馳せた友もいたことでしょう。

東日本大震災」と名づけられる、天変地異が起こるとも知らずに・・・

階上中学校といえば「防災教育」といわれ、内外から高く評価され、十分な訓練もしていたわたくしたちでした。

しかし、自然の猛威の前には、人間の力はあまりにも無力で、わたくしたちから大切なものを、容赦なく奪っていきました。

天が与えた試練というには、むごすぎるものでした。

辛くて、悔しくてたまりません。

時計の針は、十四時四十六分を指したままです。

でも、時は確実に流れています。

生かされた者として、顔を上げ、常に思いやりの心を持ち、強く、正しく、たくましく生きていかなければなりません。

命の重さを知るには、大きすぎる代償でした。

しかし、苦境にあっても、天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていく事が、これからの、わたくしたちの使命です。

わたくしたちは今、それぞれの新しい人生の一歩を踏み出します。

どこにいても、何をしていようとも、この地で、仲間と共有した時を忘れず、宝物として生きていきます。

後輩の皆さん、階上中学校で過ごす「あたりまえ」に思える日々や友達が、いかに貴重なものかを考え、いとおしんで過ごして下さい。

先生方、親身の御指導、ありがとうございました。

先生方が、いかにわたくしたちを思って下さっていたか、今になってよく分かります。

地域の皆さん、これまで様々な御支援をいただき、ありがとうございました。

これからもよろしくお願い致します。

お父さん、お母さん、家族の皆さん、これからわたくしたちが歩んでいく姿を見守っていて下さい。

必ず、よき社会人になります。

わたくしは、この階上中学校の生徒でいられたことを誇りに思います。

最後に、本当に、本当に、ありがとうございました。』